あの地震から1週間、
続々と入ってくる情報に胸を痛め、余震に怯え、犠牲者の冥福を祈る日々を送っております。
あの日、わたくしはもちろん会社におり、
仕事をしておりました。
揺れがどんどん強くなり、先のNZ地震が脳裏をよぎり、
外へ避難、というとき、
非常階段へ続くドアが揺れで思うように開かず、あせったのを覚えております。
外に出ても揺れを感じ、同じように外に避難してきた、
ほかの会社のひとたちで溢れていました。
みんな一様に、周囲のビルを見渡し、崩壊しないかと心配そうにしていました。
会社に戻っても、すぐ2回目の揺れがきて、
再び外に避難。
印象的だったのは、みんなが避難してるときに、
取引相手の運送会社がやってきて、ふつーに集荷をしようとしていたこと。
地震後から電話回線を遮断、電車が軒並み運休になったと聞き、
まぁそうだろうな、と思いながら、
会社で待機。
続々とテレヴィで報道される惨状に、みんなで悲鳴。
仙台出身の総務の社員さんと、青森出身のわたくしの家族を、
ほかの社員さんも心配をしてくださるけど、本人たちは周りほどではなく、
案外と楽観視してたように思います。
会社からは出られないし、会社(ここ)をキャンプ地とする覚悟を決め、
社員さんが買ってきた牛丼をみんなで食い、
責任者は黒霧を買ってきて、牛丼をつまみにするわー、と言う始末www
結局、23時半には電車が動き出したとのことで退社をしたのですが、
駅に着いてから電車に乗るまでに1時間、
電車も激混みで、結局最寄駅に着いたのが2時半でした。
地震って怖い。
慣れてるつもりだったけど、あんなに大きい地震にあったのは初めてで、
冷静でいられませんでした。
脚が震えて、寒さのせいだと思っていたら、怖くて震えていたんだと、
今ならわかります。
わたくしが住んでいるチバは、
今も大なり小なり地震があって、あの日からびくびくしています。
口では「大丈夫」「まだこれくらい」って言ってますけど、
それはわたくしのキャラ的に、
どっかで“言わなきゃ”、“クールな振る舞いしなきゃ”って思ってるから言ってます。
本当はむっちゃ怖い。
「大丈夫」「まだこれくらい」は、自分に言い聞かせてるとこもあります。
だけど、みんなが言うように、
ライフラインが確保されているなかで、泣き言なんてダメだ、
被災地の方々はもっとしんどい状況でも、頑張っているんだ、
て思うと、「怖い」も「助けて」も言えない、
言ったところでどうなるものでもない。
こんなとき、末っ子ってダメだなぁー、と思い知りました。
頼ってばっかり生きてきたから、こういうとき弱い。
ex.竹電の斉藤さんは、
地震発生直後から、地震情報や避難所情報、天気予報にいたるまで、
ありとあらゆる情報をTwitterに流し、
被災者を頑張れ、と励まし続けました。
やけのはらさんもそうで、
今も原発の情報や政府からの発表をつぶやき続けています。
旅人さんは、お客さんが一人もいないクラブで、
チャリティーのため、と歌いました。
あれはすごい体験だったなぁー…
(いつかそれについてもブログれればいいなぁ。)
自分には何ができるだろう、
考えても、結局何もできずにはがゆいです。
節電したからって、それが被災者のためになるわけじゃない。
とりあえず募金、募金したいです。
それから地元に帰ること。
新しい新幹線に乗れないのは残念だけど、
春の大型連休は帰ってもいいよ、むしろ帰って、
と社員さんから許可はいただきました。
帰る!帰るよ!!
弘前の桜見に帰る!!
エレキコミックのやついさんが言ってた、
春はもう来てるって!!