●シュルレアリスム展に行ってまいりました wz ソヲちゃん。
本当は12日に行こう、という話をしていたのだけど、
件の震災があったため、見合わせていたのでした。
国立新美術館は初めて行ったのだけど、
エントランスに日差しが降り注いで、大英博物館のグレートコートを思い出しました。
お目当てはマグリットとエルンストとダリ。
マグリットの「大家族」も「ピレネーの城」も「ゴルコンタ」も来てなかったし、
エルンストのコラージュ作品は全く来てなかったのだけど、
ブニュエル「アンダルシアの犬」と「黄金時代」を上映してて、
もんごっそい萌えた。
ブニュは映像だし、“展示”できるものではないから、
いないと思ったら、まさかの上映。
ダリとブニュが揃ってるーて、一人で萌え萌えしてました。
(でも、ダリとブニュがいるのにロルカがいない…)
これを見ちゃうと、何かって言うと「シュールだw」て言うひとがいるけど、
あんなんシュールでもなんでもねぇ、ただ意味がなくてわけわかんないだけ、
シュールじゃなくてナンセンス。
大変おもしろかったです。
浮世絵や曼荼羅や日本刀や水墨画を見たときのような、
グッとクる感じはなかったけど、
大変興味深いなぁー、と思いました。
一緒に行ったソヲちゃんは、随分刺激を受けたようですが。
●国立新美術館のミュージアムショップはでれ楽しい。
住みたい。
おもしろすぎるものがたくさん売っている。
●あこがれの「戦国鍋TV」内コーナー、
「MUSIC TONIGHT」CDが出たので、購入。
SHICHIHON槍、天正遣欧少年使節、兵衛'z、利休七哲、
浅井三姉妹(チームAZI)、信長と蘭丸。
ボーナストラックは「大坂ハイスクール 高校与太郎爆進ロード」のED、
「OSAKA-GAKUEN HIGHSCHOOL」
そしてDVDは、見逃してしまった年末年始特別番組「大戦国鍋TV」
大晦日、うつけバーNOBUにやってきた谷やんが、
ハワイにバカンスへ行ってしまった伊達ママたちの代わりに、
後輩を呼び、二人でお店に立つが、
客として今までのコーナー出演者が入れ替わり立ち代りやってくる、
というもの。
戦国武将が訪れるキャバクラのキャバ嬢レイナさんが来たり、
戦国ヤンキー川中島の信玄と勘助が来たり、
最終的に天正遣欧少年使節が来て、
谷やんの後輩=SHICHIHON槍の平くんがバレそうになってあせったり。
平くん=矢崎広さん=ぴろしがいっぱい出番あってうれしかった。
SHICHIHON槍を解散させたのは平くんなのにーッw
でも、やっぱり昔ほどかわいくなくなっちゃったな…
「ピスメ」んときは、むっちゃかわいかったのにな、ぴろし…
戦国鍋TVは、本当になんとなく歴史が学べるからあなどれない。
そしてMUSIC TONIGHTにおける村井良大さんの出席率がパねぇ。
●ex.竹電・斉藤さんが、
iGO茜谷さんと24-two four-若杉さん企画の、
東北関東大震災チャリティーライヴで歌った映像を、
やっと見た。
今まで、どこから見れるのかわからんくて、見れなかったので。
斉藤さん、やっぱり歌うまいなぁー。声きれいだなぁー。
「好きなバンドの曲を演ります」って言って演奏された、
「Hello Mr.Regret」、斉藤さん大好き。
ドSでツンデレなKCもほめまくり。
「ユーストで見たけどお前の弾き語りも最高、の段。」
「BEGIN的なルックスと、内容が最高。」
「見た目はBEGINだったけど、すげぇ良かったまじで。俺らもがんばるっす。」
とか言っといて、
「BEGIN路線でいくのは俺のお腹とほほの筋肉が崩壊するかもだからやめて。」
出た、今回はまさかのデレツン。
でも本当によかった。斉藤さん、歌っていてほしいなぁー。
そして映像の終わりに流れる24-two four-の曲も好きだぁー。
若杉さんの声、涼やかでいい。
私信 to ane
いや、なんならバスで帰る氣です。
あっくんは本当にすごいよ。
私信 to osa
待ってて
●七尾旅人さんのUstのお話。
DOMMUNE主催の宇川さんに誘われて、DOMMUNEで歌った旅人さん。
「ちょっと重いかもと思ったんだけど」、歌い始めたのは「この素晴らしき世界」。
みんな同じ条件で、想像力を働かせて、
と旅人さんの呼びかけで、目をつぶる。
旅人さんもMCは6割何言ってっかわっかんないんだけど、
穏やかな日差しが降り注ぐ野原を想像して、と誘われる。
そこから、青い空、白い雲、つきぬけて星空へ、宇宙へ。
目を閉じた状態で、旅人さんが発する音(口で空を突き抜ける効果音を出している)に集中する。
7900人のヴューワーが同じ条件で、同じ音に耳を澄ます。
きっと見えている景色も一緒だった。
目を開けて、TwitterのTLを読んで確信した。
みんな、あの星空を見ていた。
旅人さんに誘われて、真っ暗な星空をすごい勢いで飛んでいた。
周りには、精神生命体となったヴューワー。
流れ星みたいな速さで、宇宙空間を自由に。
この素晴らしい世界
その日作った「帰り道」も、「星に願いを」もすごくよかった
●地震の一番古い記憶は、小学生。
釧路沖地震。
まだ今の家に住んでなくて、市営住宅にいた頃。
家族4人一緒になって、いつでも逃げられる場所に集まり、
お父んが「おお、これは大きいな」って言った。
照明が傘ごとガンガン横に揺れてて、とっさに「怖い」て叫んだのを覚えている。
●本日はTwitterでex.竹電・斉藤さんに絡んでもらえた♪
震度3規模の地震が続いている@チバ。
もういいよ、 …
もう地震に怯える毎日に疲れました…
怖がりで弱い自分はさらしたくなかったなー(苦笑)。
でわでわ。ばいちゃスェ。
ロンドンブーツ1号2号の淳さんのツイキャスを見た。
自ら広告塔になり物資を集め、個人からの受け入れはされていないことを聞いて団体を設立し、
配送ルートを確保し、被災地へ。
それだけに止まらず、本日、収録がなくなったからと、
自らiPhone4と物資を積み、茨城へ。
連日連夜、東北の被災地は報道されるけれど、
茨城は報道されず、情報もなく、でも被災地に変わりはない、
そんな情報をTwitterで見た淳さんは、
「できる事をできる場所でできるだけ」
と、茨城へ。
派手な格好もせず、髪も上げず、
最初は砂塵がすごいからとマスクもつけていたけど、
途中の港で出会ったご婦人が、
「マスクをつけて活動すると、(放射能がいよいよヤバイんじゃないかと被災者を)不安にさせる」
と言っていたのを聞き、避難所の学校に着くときには、
マスクもはずした。
避難所に入っても、
おばあちゃんたちのお話を聞いたり、
炊き出しをするおばちゃんたちと写真撮ったり、
避難所の前でそわそわしながら出待ちする男子に笑いかけたり、
「取材じゃないからね、ふつーに話したいだけだからね」
って、ニコニコしていた。
確かに茨城の状況はテレビじゃやらない。
あんなにひどいことになってたなんて、淳さんのツイキャスがなきゃわからなかった。
淳さんは、出会うひと出会うひとみんなに、
「何が足りない?」「水は?電気来てる?ガスは?」
と聞いて回り、持参したホッカイロや飴を配っていた。
配ってるときも必ず、「東京のみんな」が協力してくれたんだよ、
と言っていた。
ゲーノー人だからできること、ていうのをわかってフル活用。
淳さんはすげぇなぁー。
行動力がパねぇ。
jealkbを始めたときから、面白ぇひとだなぁー、と思ってはいたけど、
こんッな頭よくて行動力あって、飾らない人だとは。
だから周りに集まるんだねー。
感動いたしました。
あの地震から1週間、
続々と入ってくる情報に胸を痛め、余震に怯え、犠牲者の冥福を祈る日々を送っております。
あの日、わたくしはもちろん会社におり、
仕事をしておりました。
揺れがどんどん強くなり、先のNZ地震が脳裏をよぎり、
外へ避難、というとき、
非常階段へ続くドアが揺れで思うように開かず、あせったのを覚えております。
外に出ても揺れを感じ、同じように外に避難してきた、
ほかの会社のひとたちで溢れていました。
みんな一様に、周囲のビルを見渡し、崩壊しないかと心配そうにしていました。
会社に戻っても、すぐ2回目の揺れがきて、
再び外に避難。
印象的だったのは、みんなが避難してるときに、
取引相手の運送会社がやってきて、ふつーに集荷をしようとしていたこと。
地震後から電話回線を遮断、電車が軒並み運休になったと聞き、
まぁそうだろうな、と思いながら、
会社で待機。
続々とテレヴィで報道される惨状に、みんなで悲鳴。
仙台出身の総務の社員さんと、青森出身のわたくしの家族を、
ほかの社員さんも心配をしてくださるけど、本人たちは周りほどではなく、
案外と楽観視してたように思います。
会社からは出られないし、会社(ここ)をキャンプ地とする覚悟を決め、
社員さんが買ってきた牛丼をみんなで食い、
責任者は黒霧を買ってきて、牛丼をつまみにするわー、と言う始末www
結局、23時半には電車が動き出したとのことで退社をしたのですが、
駅に着いてから電車に乗るまでに1時間、
電車も激混みで、結局最寄駅に着いたのが2時半でした。
地震って怖い。
慣れてるつもりだったけど、あんなに大きい地震にあったのは初めてで、
冷静でいられませんでした。
脚が震えて、寒さのせいだと思っていたら、怖くて震えていたんだと、
今ならわかります。
わたくしが住んでいるチバは、
今も大なり小なり地震があって、あの日からびくびくしています。
口では「大丈夫」「まだこれくらい」って言ってますけど、
それはわたくしのキャラ的に、
どっかで“言わなきゃ”、“クールな振る舞いしなきゃ”って思ってるから言ってます。
本当はむっちゃ怖い。
「大丈夫」「まだこれくらい」は、自分に言い聞かせてるとこもあります。
だけど、みんなが言うように、
ライフラインが確保されているなかで、泣き言なんてダメだ、
被災地の方々はもっとしんどい状況でも、頑張っているんだ、
て思うと、「怖い」も「助けて」も言えない、
言ったところでどうなるものでもない。
こんなとき、末っ子ってダメだなぁー、と思い知りました。
頼ってばっかり生きてきたから、こういうとき弱い。
ex.竹電の斉藤さんは、
地震発生直後から、地震情報や避難所情報、天気予報にいたるまで、
ありとあらゆる情報をTwitterに流し、
被災者を頑張れ、と励まし続けました。
やけのはらさんもそうで、
今も原発の情報や政府からの発表をつぶやき続けています。
旅人さんは、お客さんが一人もいないクラブで、
チャリティーのため、と歌いました。
あれはすごい体験だったなぁー…
(いつかそれについてもブログれればいいなぁ。)
自分には何ができるだろう、
考えても、結局何もできずにはがゆいです。
節電したからって、それが被災者のためになるわけじゃない。
とりあえず募金、募金したいです。
それから地元に帰ること。
新しい新幹線に乗れないのは残念だけど、
春の大型連休は帰ってもいいよ、むしろ帰って、
と社員さんから許可はいただきました。
帰る!帰るよ!!
弘前の桜見に帰る!!
エレキコミックのやついさんが言ってた、
春はもう来てるって!!
☆☆斉藤さんと仲間たち☆☆
・サティホ→「クズ」
・KC→「クズ(2)」
・広基→「こうきはまあまあいいやつ。」
・苅谷くん→「やり手」「モテる」
・ぴっぴさん→「最高」
・cinema staff辻さん→「誰それ」「ごめん誰か分かんない」
・cinema staff三島さん→「かっこいい」
・cinema staff久野さん→「ファミチキ」「Lチキ」
・鶴 秋野さん→「アフロ」
・斉藤(弟)さん(UNISON斉藤さん)→「愛」
・斉藤さん→「俺」
・cinema staff飯田さん→「エロ」
・FoZZtone竹王さま→「暴君」
・mudy on the 昨晩 伊藤さん→「犬好き」
・おっぱい→「ボイーン」
・鶴 神田さん「濃い」
・MONOBRIGHT桃野さん「道東仲間」
・MONOBRIGHTヒダカ氏「POPの神様」
・serial TV drama鴇崎さん→「エンターテイナー」
・mudy on the 昨晩 ワティ&アディ「好き」
「終了。俺は仲間を愛してます。」
★★KCと仲間たち★★
「誰か俺にも『斉藤さんは?』って聞いてくれよ!」
・斉藤さん→「ハゲ」「ハゲwww」「ハゲてつかーさい」「はげー」
電話 誠司くん「斉藤さんは?」
KC「あなたは昨日からやたらとリツイートして来るけど一体誰なんでしょう?」
・断髪する前の斉藤さん→「およそハゲ」
・KC→「クズ(2)」
・サティフォ→「さわお。犬のやつ。」
・電話 誠司くん→「幸四郎関係の方でしょうか?」
・苅谷くん→「ミスマンデイ」
・斉藤さん(弟)→「燃えろいい男」
・広基さん→「燃えろいい男の二番煎じ。」
●●KCと愛●●
サティフォさん「俺山下臭結構好きよ。」
KC「あいしてる。」
深谷親分「実はさっきずっと臭いを我慢してました。」
KC「あいしてる」
斉藤さんもKCも基本、cinema辻さんには冷たい。
それプラス、KCはthe telephones誠司くんに冷たい。
竹内電気のメンバーとして、斉藤さんが最後に書いたブログは、
涙を誘う。
嗚呼、斉藤さん…
それを受けて、サティフォさんがつぶやいた内容にも、涙。
「俺も頑張るよ。頑張るってかやりたいことをやるだけだな。」
嗚呼… サティフォおぉおぉおぉおぉおぉおぉ~ …
でも同時に、LUNASEAも再結成したんだし、
いつかきっと竹電と斉藤さんが同じステージに立つ、
そんな氣がした。
竹電の大切なパーツを担っていた斉藤さんが脱退したのだから、
竹電の音楽が多少変わってしまうかもしれないし、
ライヴが変わってしまうのは仕方ない、
心配はしているけど、悲観はしなくなった。
斉藤さんはこれからも、Twitterの窓を開けばいつでもニコニコしてらっしゃるし、
ブログも続けて下さるようだし。
距離は変わらないんだよね。
前より近くなったわけでも、うんと遠くなってしまったわけでもない。
そう思う。うん。